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宝塚歌劇への提案

2023年、宝塚歌劇団で悲しいニュースがありました。それをきっかけに、劇団のコンプライアンスが問われています。

私はライトなファンとして25年余り観劇していますが、このニュースを聞いて、宝塚大劇場で初観劇したときの記憶がよみがえってきました。

第一部がお芝居、第二部がショーというよくある形の公演でした。私が最も驚いたのは、こんなにたくさんの劇団員がいるのに、芝居の中でセリフや歌があってストーリー展開に絡む役はトップスターを中心にした数人で、それ以外の何十人もの団員たちはその他大勢の脇役であったことです。セリフが全くないか、一言二言しかない人たちもたくさんいました。それでも舞台の端にいる人までが美しく扮装して一生懸命に演技をしているのです。私は子供心に、なんて偏っているんだろう、主役が大変すぎるわと思いました。

休憩を挟んでショーがはじまると、一糸乱れぬダンスシーンが繰り広げられ、たくさんの団員たちはこのために存在しているのだとわかりました。ただし、ここでもソロで歌える人はわずかで、それ以外の人たちは後ろで踊ったりコーラスをしたりします。公演の最後には大きな階段を降りてくるフィナーレがあります。階段から降りる順番や衣裳の豪華さが序列を表していて、特にトップスターはそれ以外の人たちとはあまりにも違いすぎる超巨大な羽を背負います。幕が降りてから一緒に見ていた家族と開口一番「ものすごいヒエラルキーだね!」と興奮して笑い出したのを覚えています。同じ試験を受け同じ学校から入団した若者たちに舞台の上でこれほどの差をつけるんだとカルチャーショックを受けました。

でも、私はニュースを見るまでこのことをすっかり忘れていました。伝統の様式だからすっかり慣れていたのです。今回、宝塚ファン以外の目にはおそらく“その他大勢“に類する団員さんが、熱心な指導を受けたり、多忙で追い詰められたなんてあまりにも気の毒で割に合わないと感じて思い出しました。心よりご冥福をお祈りします。

様式美の舞台は、皆でトップさんを輝かせついていく、舞台の端っこにいても全力を尽くす価値観そのものに見えます。清く美しいですが、舞台を目指して努力してきたら誰しもメインキャストを夢見るでしょう。その可能性が低い熾烈な環境にいると、言葉遣いやら瑣末な所にこだわったりキャスティングを握る人に権力が集中したりするのは無理もないと思います。

1観客に過ぎない私が考える改革は、まず団員の賃上げ。次に舞台の上をフラットにすることです。全ての団員に活躍の機会が増えるように、脚本演出を工夫したり、芝居はダブルキャストやトリプルキャストにして交替で休ませたり、作品ごとにメインキャストを変更するといったようなことです。収益は一時的に落ちるかもしれません。圧倒的なトップコンビこそ非日常の夢の象徴だからです。それでも自戒を込めて、カリスマを求めた結果の悲しい歴史を忘れないようにしたいと思います。